多聞寺の創建年代は不詳ですが、
天徳年間(957-960)には
今の隅田川神社付近にあり、
大鏡山明王院隅田寺と称し、
不動明王を本尊としていましたが、
天正年間(1573~1591年)に
住職鑁海(ばんかい)上人が夢の
お告げにより毘沙門天を本尊とし、
隅田山吉祥院多聞寺と改称したと
伝えられています。
古くは隅田堤の外の隅田川神社に近い、
多聞寺屋敷という所にありましたが、
天正年間(1573~92年)に
現在の地に移されました。
この寺は慶長11年(1606年)に建立され、
本尊の毘沙門天像は、
弘法大師の作と伝えられます。
茅葺の山門を入ると左側に、
「狸塚」と刻んだ石があります。
伝説によると、このあたりが草深い里だった頃、
本堂のすぐ前の大きな老松の根本に
古狸の夫婦が棲んでおり、
村人をおどかしたり、
いたずらをしたりすることが度々ありました。
そこで村人達は住持と話し合い、
この老松を切りはらってしまったのですが、
狸の悪さは一層ひどくなるばかり。
因った住持は、一心に本尊毘沙門天に
祈ったところ、ある夜毘沙門天門下の
禅尼師(ぜんにし)童子が現われ、
宝棒で狸を打ちすえる夢を見ました。
翌朝、庭に二匹の大狸が死んでおり、
この狸を葬った場所に石を立て、
狸塚にしたといいます。
狸塚があることから
たぬき寺ともいわれています。
毘沙門天を本尊としていることから
文化年間(1804~1818年)に
隅田川七福神の一つとされ、
山門左側にある『毘沙門天』の案内碑は、
当時向島に住んでいた榎本武揚が
碑文の文字を書いています。
関東大震災や戦災による被害を受けていない
多聞寺は、昔日の面影を残している
区内でも数少ない寺院です。
特に茅葺きの山門は享保3年(1718年)に
火災により焼失した直後に建てられた
区内最古の建造物といわれています。
多聞寺卍
03-3616-6002
毘沙門天
毘沙門天は、もとはインドの神様で、
別名多聞天とも言われています。
帝釈天の部下の四天王の一員で、
世界の中心に立つ須弥山(しゅみせん)の北方を
守護していると言われています。
鎧・兜に身を包み、武器をたずさえている
勇ましい姿であらわされます。
三界に余る程の宝物を持っていて、
善い行いをした人達には宝物を与えるのですが、
世の中にはそういう人が少ないので
宝が余ってしまい、
毎日須弥山三つ分程の宝を
焼き捨てているということです。
勇壮な神様ですので、
古来から武人等に信仰する人が持に多く、
中でも上杉謙信などは熱心な信者であり、
毘沙門天の「毘」の字を旗印にしていました。