七福神めぐりは通常南から始めることが多いので、毘沙門天(びしゃもんてん)を祭ってある

多聞寺は、最後の順番となっています。

かつては、大鏡山明王院隅田寺(だいきょうざんみょうおういんぐうでんじ)と称し、不動明王を本尊としていたが、天正年間(1573~1591年)に住職鑁海上人(ばんかいしょうにん)が夢の

お告げにより毘沙門天を本尊とし、隅田山吉祥院多聞寺と改称したと伝えられています。

 

 古くは隅田堤の外の隅田川神社に近い、多聞寺屋敷という所にありましたが、

天正年間(1573~92年)に現在地に移されました。この寺は慶長11年(1606年)に建立され、

本尊の毘沙門天像は、弘法大師の作と伝えられます。

 茅葺の山門を入ると左側に、「狸塚」と刻んだ石があります。伝説によると、このあたりが

草深い里だった頃、本堂のすぐ前の大きな老松の根本に古狸の夫婦が棲んでおり、

村人をおどかしたり、いたずらをしたりすることが度々ありました。そこで村人達は住持と

話し合い、この老松を切りはらってしまったのですが、狸の悪さは一層ひどくなるばかり。

因った住持は、一心に本尊毘沙門天に祈ったところ、ある夜毘沙門天門下の禅尼師(ぜんにし)

童子が現われ、宝棒で狸を打ちすえる夢を見ました。翌朝、庭に二匹の大狸が死んでおり、

この狸を葬った場所に石を立て、狸塚にしたといいます。

狸塚があることからたぬき寺ともいわれています。

 

 毘沙門天を本尊としていることから文化年間(1804~1818年)に隅田川七福神のひとつとされ、

山門左側にある『毘沙門天』の案内碑は、当時向島に住んでいた榎本武揚が碑文の文字を

書いています。

 関東大震災や戦災による被害を受けていない多聞寺は、昔の面影を残す区内でも数少ない

寺院で、特に茅葺きの山門は享保3年(1718年)​に火災により焼失した直後に建てられた

区内最古の建造物といわれています。

03-3616-6002

 

 毘沙門天は、もとはインドの神様で、別名多聞天とも言われています。

 帝釈天の部下の四天王の一員で、世界の中心に立つ須弥山(しゅみせん)の北方を守護していると言われています。よろい・かぶとに身を包み、武器をたずさえている勇ましい姿であらわされます。

 三界に余る程の宝物を持っていて、善い行ないをした人達にはそれを与えるのですが、あいにく世の中にはそういう人が少ないので宝が余ってしまい、毎日須弥山三つ分程の宝を焼き捨てているということです。

 勇壮な神様ですので、古来武人等に信仰する人が持に多く、中でも上杉謙信などは熱心な信者であり、毘沙門天の「毘」の字をその旗印にしていました。

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